人と関わるということ

前の記事で散髪に対する後悔をつらつら書きましたが、結局人に見られて恥ずかしいから後悔してたんですよね。

つまり人と会わなければ別にどんな髪型でも気にならないという。

僕は人と関わることが大の苦手で、あらゆる行動原理の根っこがそこにあります。

小学校から今に至るまで、人間関係のトラブルを何度も起こして色々な人と疎遠になってきました。

そんな失敗経験を繰り返すうちに、人に対する苦手意識が醸成されていきました。

「人生の悩みは殆ど人間関係に起因する」みたいなことをアドラー心理学?かなんかで言ってたと思いますが、その通りだと思います。

それに対してアドラーは「人の目なんか気にするな!嫌われる勇気を持て!」って言うんですが(全然違ったらすみません。あくまで僕の認識です。)、そうじゃないんですよね。

何が違うかって言うと、人の目も勿論怖いんですが、それよりもそもそも人と関わることのリスクがでかいんですよ、僕みたいな人間からすると。

そんな地雷原に自分から入りたくないよ!という気持ちの方が強い。

巷では「人との関わり」に対する感じ方の違いから、内向的・外交的なんて言ったりしますが、同じ「人との関わり」というイベントではありますが、その中身や結果が人によってあまりにも違うんだと思います。

さらに言うと、子供の頃ってあんまり人間関係の悩みとかないと思うんです。それが、個人の対人スキル(コミュニケーションスキル、メンタルの強さ、容姿等)によって、よくトラブルを起こす人とそうでない人に分かれるんだと思います。

よくトラブルを起こす人は人間関係の構築を避けるようになる、避けるようになるから経験値が少ない、経験値が少ないからまたトラブルを起こすという負のスパイラルにハマるのかなと考えてます。

反対にトラブルをあまり起こさない人は上とは逆の正のスパイラルを経験していく。だから内向型・外交型に2局化するのかなと考えてます。

じゃあ内向型も、経験値を積めばいいだろ!って言う話なんですけど、もう30近いんで今から経験積んでいくのも、、、と考えてます。

僕も成熟した大人なので、人と関わらないで充実した時間を過ごす方法を既に確立しています。ですのでわざわざ地雷原を進んで、地雷を何発か食らいながら経験値を積むくらいだったら、一人で映画見るよなーとか考えてしまうわけです。

FIREして人と関わらなくなることを良くないことのように語る人は多いですが、結局人によるのかなと考えてます。

少なくとも僕は、人と関わらないためにFIREを目指しています。

転職も、残業を減らして人と関わる時間を減らす為にやりました。年収は変わってないです。

週休3日の会社に転職しようかな。

こうやって段階的に完全FIREに近づけていくのが、生活リズムを大きく変えないって意味でも理想的な気がしてきました。

うちの会社も週休3日の制度あるはずなんだけどな、、、誰もやってないな、、、

申請しても受理されなさそう笑

ひとまず、そういう会社の求人探しからかな。

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